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2023年5月12日 (金)

第57話 熊野三山と大斎原(おおゆのはら)と「白黒の鉄砂」 

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 紀伊山地に点在する熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を熊野三山と言い、熊野本宮大社の旧社地を大斎原(おおゆのはら)と言います。

 大斎原の「ゆ」は、熔(と)けた鉄を表す「湯」ではないか。

 湾曲した熊野川の中州に大量の砂鉄が堆積し、古代に製鉄が行われていたのではないか。

 そんな思いを確かめたく、熊野古道の中辺路(なかへち)に沿って車を走らせました。世界遺産の熊野本宮大社は例大祭の最中で、海外からの参拝客もありにぎわっていました。

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 明治時代に洪水で流されるまで大斎原には多くの建物があり、残った社殿を本宮に遷座したことが案内板に記されています。

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 散策中に入った世界遺産熊野本宮館に、紀伊田辺ロータリークラブ寄贈の大斎原の模型があり、古に思いを馳せることができました。

 近くの堤防から熊野川を眺めると、音無川、岩田川が合流する川原は、想像以上に広がっていました。

 大斎原から少し離れたところに、小さな産田(うぶた)社があり、産土の神としてイザナミ命が祭られています。このあたりの砂鉄が最初に見つかったのでしょうか。

 熊野本宮大社の神事のひとつに、湯登神事があります。神の依代である稚児が、ウマ役の父兄に肩車され湯の峰温泉から熊野古道大日越を歩き、大斎原をめざす神事です。

 貴重な砂鉄を、大日山を越えた湯の峰温泉まで馬で運んだことを伝える神事でしょうか。湯の峰で製鉄が行われる中で、日本最古の温泉が見つかったのでしょうか。

 

 先を急ぎ、熊野速玉大社をめざし熊野川に沿って南下しました。八咫烏(やたがらす)に導かれた神武天皇一行とは逆コースです。 

 近くのゴトビキ岩は、熊野の神々が最初に降臨したと伝わり、多数の銅鐸片が発見されていることもあり、立ち寄ることにしました。

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 雨の日にはとても登れそうもない急な石段が続いています。降りて来る方に励まされながら、何とか巨岩までたどり着きました。

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 熊野速玉大社では年に一度、ご神体が御旅所に渡御します。この御船祭は、熊野川が湾曲する御旅所あたりや御船島の周りに、砂鉄が堆積していたことを物語るのでしょうか。

 

 那智勝浦温泉に宿をとり、翌朝、那智の滝を訪れました。

 海上から光る那智の滝を見た神武天皇は、滝にオオナムチを祭っています。海から滝が見えるか宝物館で尋ねたところ、館内のビデオに白く光る滝が海から見える様子が映っていると教えていただきました。

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 熊野本宮大社のホームページには、天火明命は熊野国造家の祖神で、息子の高倉下が神武東征に際し、熊野で天剣を献じたとあります。

 また、孫の熊野連の頃、10代崇神天皇の御代に家都美御子大神(スサノオ命)が、熊野川の中州の大斎原に降臨したとあります。

 息子が初代天皇の時代で、孫がいっきに10代天皇の時代というは疑問が残りますが、天火明命は、真弓常忠氏の『古代の鉄と神々』に次のように記されてい二ます。

 

『播磨国風土記』では、火明命がオオナムチの神の子神となっていること。

『丹後国風土記』逸文に、火明命が高志(越)の国を領したのは、オオナムチの詔によるもので、オオナムチとスクナヒコの2神が「白黒の鉄砂」を得たので、火明命に奉祭せしめたこと。

 

 「白黒の鉄砂」は砂鉄のようですが、どんなものかは詳しく書かれていません。

 陰陽五行説が鉱業に強い影響を与えた時代があり、私は、次のように考えてみました。

 

 縄文海進により、入江の汀(みぎわ)や、巨岩の根元、小島の周りに、数百年をかけ大量の砂鉄が堆積した。

 弥生時代になると、海退により海抜の高いところから順に砂鉄が露出し、採掘できるようになった。

 汀の白い砂地に、凪(ナギ)と波(ナミ)により、黒い砂鉄が陰陽太極図のような陰陽の調和がとれた模様を浮かび上がらせ、「白黒の鉄砂」が良質な砂鉄の代名詞になった。

 葦原や木々で覆われた中州などの地形を読み、砂鉄が堆積している個所を見極める技術は、オオナムチから火明命、さらに高倉下、熊野連へと一族のみに伝えられた。

 海抜80メートルのゴトビキ岩の根に、熊野川から流出した砂鉄が打ち寄せられ堆積していた。

 天明命の息子、高倉下は、誰も予想しないうえ、絶壁で人を寄せ付けないゴトビキ岩の根に堆積している砂鉄を発見した。

 採取にあたり地鎮祭の鎮物として銅鐸を割り供えた。砂鉄は熊野の神とされ、最初の降臨地と伝わった。

 孫の熊野連は、熊野川の上流にも堆積地があるはずと探査を続け、海抜50メートル前後の大斎原の地に、上流の滝でもまれた良質な砂鉄が大量に堆積していることを突き止めた。

 紀伊国は木の国。燃料の炭は豊富で、砂鉄は運搬しなくてよく、清らかな湧き水に恵まれたこの地は、製鉄にうってつけの地であった。

 大斎原周辺の砂鉄採取も、数十年もすると掘り尽くされた。

 12代景行天皇の頃には、熊野川河口の御旅所や御船島の周りに堆積していた砂鉄をもとめた。

 

 御旅所や大斎原の昔の字限図に、砂鉄採取にかかわる地名が残っているかもわかりませんが、すべて空想です。

 熊野三山と大斎原には、「白黒の鉄砂」にまつわる神々の歴史があったのではないか。

 足早に旅した熊野でしたが、そのように感じました。

 

こちらもご覧ください。

第10話 白黒と陰陽五行 日本書紀にセキレイが登場するのはなぜ?(2012年6月30日)コチラ

(但馬二千年桂 Tajima Nisennen Katsura)

但馬二千年桂 古代史 目次 コチラ

 

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