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2020年12月30日 (水)

第56話 イザナギのみそぎで生まれた筒之男命。「つつのを」は鶺鴒(セキレイ)の尾?

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「鶺鴒と白黒の鉄砂」(但馬二千年桂)

 日本神話に登場する筒之男命(つつのをのみこと)をご存じですか。

 イザナミを黄泉(よみ)の国まで追いかけたイザナギが、穢(けが)れをはらうため筑紫の日向で行った禊(みそ)ぎで生まれた神様です。
 住吉大社の祭神で航海の神様と言われています。 
 『古事記』は、その名を底筒之男命、中筒之男命、表(うわ)筒之男命と記し、『日本書紀』は、底筒男命、中筒男命、表筒男命と記します。

 筒之男(つつのを)は何を表すのでしょう。ヒントを『古事記』のイハレビコノ命の妃が詠んだ歌に見つけました。

 「あめ つつ ちどり ましととなどさける利目」

 「あま鳥、つつ(セキレイの一名)、千鳥、真鵐(ましとど・ホウジロのこと)のように、どうして目尻に入れ墨をして鋭い目をしているのですか」と『古事記(中)』(次田真幸1980.講談社学術文庫)に訳されています。

 「つつ」は、鶺鴒の一名のようです。すると、筒之男(つつのを)はオスの鶺鴒でしょうか。しかし、鶺鴒の雌雄は中々見分けがつきません。
 「つつのを」を「つつの尾」と解せば、「鶺鴒の尾」となります。
 「石たたき」の別名が表すように、鶺鴒が石の上で尾を振る姿は目立ちます。
 『日本書紀』の国生み神話には、「鶺鴒が尾を振り、イザナギとイザナミの性の指南役となったエピソード」が記されています。

 また『古事記』の雄略天皇が新嘗祭の宴席で謡った歌にも詠まれています。

 「まなばしら 尾行き合へ」

 「まなばしら」は鶺鴒の古名で、鶺鴒のように長い裾を交えて行き交いという意味です。

 さて、「あめ、つつ、ちどり、ましとと」は、いずれも目元が白黒2色の鳥です。
 以前、アメノヒボコの岳父・太耳ゆかりの地に「黒白」という地名を見つけ、白黒の配色について調べた際、『古代の鉄の神々』(真弓常忠1997.学生社)に興味深い一文を見つけました。

 「出石神社所蔵の文書に記された丹後国風土記逸文に、火明命が高志(越)の国を領したのは、オオナムチとスクナヒコの二神が「白黒の鉄砂」を得たので、これを二神の霊として、火明命をして奉祭りせしめた」

 「白黒の鉄砂」は、どのようなものでしょうか。

 縄文海進により海水面が上昇した数千年間、州浜は今より内陸にあり、山裾や岩の根の潮だまりに大量の砂鉄が堆積していたと想像しました。

 弥生時代の海退により汀が後退し、白い砂浜に黒い砂鉄の帯が姿を現したのではないでしょうか。
 まるで白黒の陰陽太極図のようで、マーブル柄の砂鉄の帯を「白黒の鉄砂」と名付けたのでしょうか。
 鉄は黒い砂と考えられるほど、まとまって採取できたのかも知れません。

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 岩手県平泉の毛越寺を訪れ、浄土式庭園の池を巡っていると、湾曲した州浜があり気になりました。
 宇治の平等院はどうかと調べてみると、『新版 古寺巡礼 京都13 平等院』(平成19年 淡交社)に、平等院庭園は小石を敷き詰めた州浜を基調に初期の姿に復元されたと紹介されていました。

 さらに、1118(元永元)年に、宇治平等院で藤原頼通の娘、寛子が行った法要の造りものに鶺鴒の名がありました。
 『中右記』に記された「十種供養」の様子が紹介されており、十種類の品々を供えて行う法要の池に立てるつくりものに、蓮の花、水鳥、樹林、鶴、鶺鴒とありました。
 鶴と鶺鴒は、白黒の配色ゆえ十種に選ばれたのでしょうか。

 宇治の平等院は、藤原頼通が、道長から相続した貴族の別荘を寺に改めたものです。法要では、『日本書紀』編纂に関与した藤原家の祖、不比等も祀ったのでしょうか。
 庭園の池に造り物の鶺鴒を飾り、州浜から眺めながら、砂鉄で財をなした先祖の歴史を子孫に語り継いだのかもしれません。

 ところでイザナギは、上の瀬は流れが早い、下の瀬は流れが弱いと中の瀬で禊ぎをします。
 流れが速い上の瀬は、砂鉄が堆積しにくく、流れが弱い下の瀬は、泥も堆積します。 
 中の瀬で禊ぎを行ったイザナギは、底、中、表の層から砂鉄を採取したのではないでしょうか。

 イザナギが、剣で火の神カグツチを斬った際に、石(いは)筒之男神(『紀』は、磐筒男神)という神様も生まれています。火で炙り岩を裂き、鉄を採取する技術もイザナギが伝えたのでしょうか。

 鶺鴒の尾を振る姿は、槌で鉄を鍛える鍛冶のようにも見えます

 さて、鉄は砂の一種と考えられていたなら、出雲や淡路に残る砂を供える風習が気になります。

 出雲大社では、スサノオを祀る素鵞社に、稲佐の浜でとった砂を供えると御利益があると言われています。旧暦10月の神無月は、出雲では全国から神々が集う神在月です。
 農閑期に膨大な量の砂鉄を採取するため、全国から神々が集まったのでしょうか。

 オオクニヌシとスクナビコナが、大黒山で国を豊かにしようと相談したと伝わる山頂の兵主神社にも、砂をもって参拝する風習があるようです。
 山頂から斐伊川の流れの変遷を読み、砂鉄の堆積地を予測するオオクニヌシの様子が目に浮かびます。

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 イザナギとイザナミを祀る淡路島の「おのころ島神社」には、鶺鴒石が祀られていますが、それよりも、安産に御利益があるという麓の御砂所が、砂鉄が堆積していた場所ではないかと気になります。

 筒之男命の「つつのを」は鶺鴒の尾で、砂鉄を暗示するのではないでしょうか。
 摂津国の一之宮・住吉大社に筒之男命が祀られるのは、そこに大量の砂鉄が堆積していたからかもしれません。

 

(イラスト 鶺鴒と「白黒の鉄砂」について)

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 左の鶺鴒に陰陽太極図を描いてみました。分かりますか。

 雌雄を書き分けていませんので、図鑑でご確認ください。

 

こちらもご覧ください。

第10話 白黒と陰陽五行 日本書紀にセキレイが登場するのはなぜ?(2012年6月30日)コチラ

(但馬二千年桂 Tajima Nisennen Katsura)

但馬二千年桂 古代史 目次 コチラ

 

 

(追記:2021.10.3 No.1)

「綿津見(ワタツミ)三神について」

 イザナギの禊では、住𠮷三神とあわせソコツワタツミ、ナカツワタツミ、ウワツワタツミの綿津見三神が生まれています。

 博多湾を望む志賀島の志賀海神社などの祭神で、安曇氏の始祖神とされています。

 ワタには「綿」の字があてられていますが「和田」で、湾や川が湾曲したところを意味するのではないでしょうか。

 そこには、縄文海進時代を通して砂鉄が大量に堆積していたと考えます。その砂鉄は、低層、中間層、表層で粒の大きさが違ったのでしょう。

 三種類の砂鉄は、それぞれ神様としてあがめられたと考えてみました。歴史書は語りませんが、志賀島で見つかった金印は、大量に砂鉄を輸出した対価として手に入れたものかも知れません。

(追記:2021.10.3 No.2)

「緋錦御衣(あけのにしきのみぞ)の鶺鴒文様について」

 伊勢神宮の式年遷宮の御神宝の装束、「緋錦御衣」に鶺鴒が文様として描かれています。

 左右を向くつがいの鶺鴒は、白黒を反転させ図案化したもので、文様辞典によれば、鶺鴒の文様は極めて少なく神宮独自の文様のようです。

 

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コメント

かけ巻くも畏き(=高天ヶ原に神留座す神漏岐神漏美の命以て)イザナギ大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御祓祓いたまいし時に化成り座せる祓戸大神等

のイザナギ。は、物部イニエ王(ニニギ、神武、崇神)の事。
彼は、物部王家が本拠地/都としていた筑紫国(物部王国)の吉野ヶ里が中国からの脅威に曝される危機感と安全保障の面から本拠地を
九州の東側に移すことを決意。
と共に、更には祖のニギハヤヒ(徐福)以来の物部王家の宿願で有った全国統一して大王となり大和への遷移する事(神武東征の動機)を実行に移すべく、

先ずは、吉野ヶ里を放棄(「天の磐座放ち」。と表現)
して、南下。球磨で募兵して兵を養い調練。(物部軍の精鋭、久米軍となる)
鹿児島(阿多)の出雲神族の豪族のべっぴんの娘の阿多津姫命(此花咲哉姫命)に恋慕してソッコーで結婚(ヨバイ)。すると、濃厚な種水を注入されたオボコだったお姫様は一夜にして懐妊。
やがて月満ちて、生目(地名)で元気な男子を出産しますが、
どうやら生来身体が弱かったのか、産後の日だちが悪かったのか結局、若死にしてしまいました。
阿多津姫命は新たな物部王国の都の都万(宮崎)に葬られました(都万神社(阿多津姫命/玉依姫命=都万津姫命=此花咲哉姫命))

生目で生まれた御子はイサチと命名されましたが、生誕地に因み、イクメ御子と呼ばれました(後の物部イクメ(イサチ)大王
(=スサノオ、ウガヤフキアエズ、「神武(実際に大和と出雲王国を平定した)」崇神、「垂仁天皇」、山幸彦))
都万(日向)に物部王国を再建し遷した物部イニエ王は、(=筑紫の日向)
北九州地方や西四国、西中国地方等を領する豊国の宇佐王家と一触即発の危機的な緊張状態の中、
大和攻略~平定の為には豊国の宇佐神宮の月読尊(月の女神)の姫巫女の豊玉姫命(宇佐王家の総領、女王)が自分たちには必要不可欠と考えて、
辞を低くして和議を申し込み、更には豊玉姫命と政略結婚。
此処に、都万(物部)王国と豊(宇佐)王国の連合王国が成立をみました。

この出来事を、
筑紫の日向の橘の阿波(天地)岐原(都万と豊国の国境)に御祓たまいし(和議を行って)化成り座せる、、、
と表現。

三筒之神。は、いわゆる神功皇后の三人の男(男女関係の有った人)の事との伝承、お説があります。
先ず、神功皇后とは、成務天皇(大和と出雲王国を平定して統一物部王朝を建てた物部イクメ大王(垂仁)の孫で物部王朝の3代目)
の皇后。
彼女の生家、息長氏は宇佐族と同様に月読尊(月の女神)を信奉する一族。
ということは、神功皇后/息長帯姫命は月読尊を祭り奉仕する祭主/姫巫女で有ったことに成ります。
(後に無関係に思える宇佐神宮に祀られる事になる理由。ひょっとしたら宇佐族(遠縁)だったかも。)
筒の男の1人が、
この、成務天皇(物部ワカ彦)。反乱鎮圧に出征して戦死。物部王朝は瓦解して滅亡。(物部王朝は大和平定、出雲滅亡させた当初より各地の出雲族の反抗、反乱に常に悩まされて、大王(天皇)自ら鎮圧平定に東奔西走する始末。最後は大王の戦死で滅亡。コレが古事記等は「ミットもなくもあり得ない」とされて、架空のヤマトタケルを創作して押し付けた)

次が、いわゆる仲哀天皇に化けた、九州の中津の豪族の中津彦。
最後が半年制圧の大功労者の武内臣襲津彦王(日向襲津彦/葛城襲津彦)。

神功皇后と襲津彦王の実子がホムタの御子だったのですが、僅か7歳で死亡。
二人は半島諸国の莫大な権益を死守するため、深い悲しみを圧し殺して
厳重な箝口令を敷くと共に、
宇佐族の関東の上毛野国造家(豊彦/豊来入彦王の子孫)の竹葉瀬君が年格好がたまたま同じだったことから極秘裏に養子として、
先頃死亡した実子のホムタの御子に偽装。
そのまま成人して大王に即位したのが応神天皇。
応神天皇の正当な跡継ぎは宇治御子ですが、
武内臣襲津彦の息子?の平群臣都久が応神天皇らの半島諸国からの権益を奪い自立して大王に即位、いわゆる仁徳天皇となり、
仁徳~武烈の平群王朝に、
武内臣襲津彦の子孫の蘇我臣家に婿養子に入っていた元出雲王国の富王家の次男、蘇我オホド王が
平群王朝に請われて再度の婿養子に入り大王(天皇)となったのがオホド大王(継体天皇)。
継体天皇が天皇家の実質的な初代。


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