« 2018年3月 4日 (日) | トップページ | 2019年7月 6日 (土) »

2019年5月 9日 (木)の1件の投稿

2019年5月 9日 (木)

第53話 前方後円墳を飾る円筒埴輪は、砂鉄を袋詰めするための漏斗(じょうご)か?

 明石海峡を望む五色塚古墳には埴輪列が復元され、夕闇の中、シルエットが浮かび上がります。

 私は、「縄文海進により海水面が高かった時代に、当時の汀や河川の合流地点に大量の砂鉄が堆積し、海退によって海水面が下がった弥生時代から古墳時代にかけて、砂鉄を求めゴールド・ラッシュならぬアイアン・サンド・ラッシュ現象が起こったのではないか。3世紀から7世紀にかけて、技術集団が大量の砂鉄を掘り尽くしながら日本列島を移動し、残土で造ったモニュメントが前方後円墳ではないか。」と考えています。 

 そんな思いで埴輪列を眺めていると、壺を載せる器台が起源と言われる朝顔型埴輪が、昔、お米を袋詰めする際に使っていた長い足の漏斗に見え、筒を差し込んだ袋を並べ、砂鉄を詰める人々の様子が浮かんできました。
 
 前方後円墳は、河川の合流地点や、海上交通の要衝地などの目につきやすい所に造られたと考えられていますが、縄文海進時代に堆積した砂鉄が未採掘のまま大量に眠っていたから、その地に造られたのではないでしょうか。

 また、日本列島で砂鉄や鉄鉱石から製鉄が行われたのは6世紀後半で、それまでは朝鮮半島南部から延べ板状の鉄鋌(てい)を入手していたようですが、買付け船には、対価として原料の砂鉄が積まれていたのではないでしょうか。 

 百舌鳥・古市古墳群をはじめ佐紀、馬見、三島古墳群では、4世紀末から5世紀の同時期に巨大な前方後円墳が築かれますが、アイアン・サンド・ラッシュ現象がピークを迎えた時期なのかもしれません。

 五色塚古墳には2,200本、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)には1万本以上の埴輪が並んでいたようです。仮に、一袋に人が持てる約60キロの砂鉄を入れたとすると、五色塚古墳の近くで132トンもの砂鉄が採掘できたことになり、埴輪列は、古代の人々には墓域の境界とともに、砂鉄の産出量を誇示する飾りに見えたのかもしれません。

 「前方後円墳とは、縄文海進時代に堆積した砂鉄採掘の副産物」と考えることで、古墳群が古代の湾や盆地湖の汀に立地することや、前方後円墳が3世紀中頃に出現し7世紀に姿を消したことの謎が解明できると思うのですが。

但馬二千年桂 古代史 目次 コチラ

« 2018年3月 4日 (日) | トップページ | 2019年7月 6日 (土) »

フォト

「天空の城 たけマチュくん」   自己紹介

since 2012/06/03

フォローよろしくお願いします。

四季の風景時計

  • 四季の風景時計

月光

フォローボタン

YouTube「悠久の時を刻んで」

YouTube【アイアン・サンド・ラッシュ】

2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

HPへはバナーをClick

無料ブログはココログ

コーヒーブレイク


  • 食品 飲料 売れ筋 ランキングブログ

ads4

  • ads4

adスクエア

Ads

  • adスクエア