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2013年1月28日 (月)

第36話 前方後円墳の周濠は砂鉄採取のための人工池?墳丘は残土で造成か?

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私たちは航空写真で前方後円墳の全景を眺めることができますが、上空から俯瞰することができない古代の人々は、何のために幾何学模様の前方後円墳をつくったのでしょうか。

道教などの影響かもしれませんが、幾何学模様に、機能的な必然性があったのではないでしょうか。

古代には、川の湾曲したところを和田(ワダ)と呼んでいたようです。私は、川が湾曲したところでは、流速が変化し、砂鉄が特定の場所に堆積し採取したところではないかと考えています。そのような場所を「和田(ワダ)」と呼んだのが、地名になったのではないでしょうか。

あらためて、前方後円墳の型をみると、後円部の湾曲は、和田と呼ばれる川の湾曲を再現し、前方部とのくびれ部分に砂鉄を堆積させるための装置だったのではないかとひらめきました。

農業用のため池では、堆積物で埋まってしまわないように、毎年、水を抜き、底にたまった泥を取り除きます。

現代では、単に泥を取り除くという厄介な作業ですが、この泥に砂鉄が含まれていたとしたら、資源採取という作業にかわります。

古墳のまわりの周濠は、砂鉄を採取するための人工池で、墳丘は砂鉄を採取した残土を積み上げて造られたのではないでしょうか。

ひとつの仮説を立ててみます。

Photo

縄文時代の海進によって生まれた大阪平野の河内湖や、奈良盆地の大和湖が、弥生時代以降、海退に伴い、長い年月、地中に堆積していた砂鉄を採取しながら徐々に水田に作り替えられたとします。

海抜の低いところの池は、水を抜くことができないため、そのまま灌漑に使用したかもしれませんが、徐々に開発が進み、湖は小さくなり、点在する中小の池になっていたと思われます。

池の底にたまった砂鉄を採取する方法を考えてみます。

まず、一度、池の水をぬき、池の中央に作業場をつくり、縄文時代から堆積していた砂鉄を採取します。

その後、残土を前方後円墳型に整え、木杭をうち囲いをつくります。また、周りにも釣鐘型に修景します。

そして、河川から引き込んだ水路で、池の中に勢いよく水を流し込みます。

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(「宍粟市たたらの里」の展示模型。前方古円墳には関係ありませんが、砂鉄を採取する池がイメージに近いので、使わせていただきました。)

池の水が撹拌され、泥と砂鉄が分離し、くびれ部分や、釣鐘型の隅など特定の箇所に砂鉄が堆積したのではないでしょうか。

その作業を何度か繰り返し、農閑期の晩秋か早春に、水をぬき砂鉄を採取する公共事業だったのかもしれません。

開発が可能な土地は水田に造りかえられたことを考えると、採取後の残土処分地を、池の外に求めることは困難であったと考えます。

また、外に運び出す労力を考えると、池の真ん中の前方後円型の枠内に積み上げた方が効率的です。

残土をくずれない角度で積み上げ、補強のため葺石をし、さらに、次の段を積み上げ、これ以上、積み上げることができなくなった形が古墳の姿ではないでしょうか。

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盛り土の中には、将来、開発のリーダーが亡くなった際、埋葬する施設をあらかじめ、用意していたかもしれません。

前方後円墳の大きさは、もとの池の大きさに応じて決まったのではないかと考えます。

仁徳天皇陵とされる大山古墳などの外側の濠は、内側の周濠を干す際、水を流す役割をもっていたのかもしれません。

百舌鳥古墳群の前方後円墳は、後円部が北を向くものと、東を向くものがあります。

後円部から水を引き込むことを考えると、洪水などで、河川の流れが変化したか、もとの池の形状が東西に長いか南北に長いという違いがあったのかもしれません。

前方後円墳は3世紀から7世紀に造られ、6世紀には、関東以西では規模が縮小します。さらに、7世紀になり突然、見られなくなったといわれています。

これは、仏教の伝来などで説明されますが、3世紀から7世紀にかけ、前方後円型の人工中洲をもつ施設を使った砂鉄採取が流行し、6世紀には、関西の採取地が減少し、技術集団が関東に移動。

さらに、7世紀になると、鉄穴(かんな)流し法が主流となり、このような施設はつくられなくなったということではないでしょうか。

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(「宍粟市たたらの里」 展示パネル)

渡土堤も、宗教的な場所であったかもしれませんが、流れに変化をもたせることで、より砂鉄の選別ができたのかもしれません。

このように見てくると、渡土堤に水際に並べられた水どり形埴輪は、砂鉄採取の時の風景を再現し、死者の霊を慰めたとも思えてきます。

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あくまでも、個人的なひらめきで、検証したものではありませんが、あれだけの施設を造っても上空からしか造形美がわからないことを考えると、機能にこだわりがあったように思えてなりません。

前方後円墳の模型を作り、色を付けた大小のビーズを流し込めば、堆積する箇所に違いがあらわれるかもしれません。

2013(平成25)年1月28日 但馬二千年桂

「第4話 葦原が豊かだったのは未採掘の砂鉄が眠っていたから?」(コチラ

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「第25話 アイアン サンド ラッシュ 【iron sand rush】 という新発想で古代史の謎に挑む」(コチラ

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第46話 河内湖の蓮と鉄 (2013年8月10日 (土))コチラ

アイアン サンド ラッシュ 【iron sand rush】 古代史の新発想 (コチラ) 

2014.6.14公開  2:03

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