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2012年10月18日 (木)

第27話 「但馬二千年桂」と名付けた「糸井の大カツラ」の樹齢は本当に2千年?

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兵庫県北部の但馬地方では、一級河川の円山川が朝来市生野町円山を源流とし、コウノトリの郷や城崎温泉で知られる豊岡市をとおり日本海に注ぎます。

 

円山川に注ぐ多くの支流のひとつに、朝来(あさご)市和田山町の糸井地区を流れる糸井川があります。

 

その糸井川の源流に、国の天然記念物に指定されている樹齢2千年の「糸井の大カツラ」があります。

 

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衣木(ころもぎ)とも呼ばれ、神木として大切にされてきました。(数年前までしめ縄がまかれていました。この写真にも朽ちたしめ縄がわずかに残っています。)

 

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屋久島の縄文杉のように、1本の木の樹齢が2千年ということではありません。

 

Imageca5fn0y7_4 屋久杉(フリー画像)

 

Katsura201006120031_4

 

「糸井の大カツラ」は、朽ちた主幹のまわりのひこばえが、成長しては朽ち、その繰り返しにより、今の姿となりました。

 

Img_09071

 

樹高35メートル。

 

周囲19メートル。

 

大小84本の「ひこばえ」が林立する様はまるで森のようです。

 

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樹齢2千年の但馬二千年桂(糸井の大カツラ)はこうして誕生した。

 

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2千年前。

 

鳥や獣により運ばれた種がこの場所で発芽したのでしょうか。

 

それとも、近くの山で見つけた若木を登山口に移植したのでしょうか。

 

Photo_5カツラの若木

 

Photo_8カツラのひこばえ

 

Photo_9糸井川の樹齢数十年の桂の木。切られたひこばえからに若い枝が茂っています。

 

カツラは雌雄異株です。「糸井の大カツラ」のまわりで、若芽を見かけたことはありませんので、雄の木なのでしょうか。

 

Katsurajyumokuban公園のプレート

 

「弁当忘れても傘忘れるな」と言われる雨の多い但馬。

 

Katsura20100327008

 

冬には雪につつまれる厳しい自然の中で、生命力の強い若木は時を刻み、樹齢2千年の巨木に成長し、人々に大切にされる神木となったのでしょうか。

 

Gosyonokatsura

 

京都御所の森に、主幹が朽ち、周りのひこばえが成長したカツラの木があります。

 

この木のように、最初の主幹が朽ち、やがて、空洞となり、周りのひこばえが残ります。

 

さらに、数百年後、ひこばえも朽ち果て、その周りのひこばえが成長します。

 

中心の空洞は大きくなり、周りのひこばえが成長した様は、ひとつの株でありながら、まるで森のようです。

 

Katsura201007180121

 

ひこばえも朽ち果て、やがて土となり、植物の養分となります。

 

Katsura201007180241_2

 

昭和26年、国の天然記念物に指定された際、どのような調査が行われ、樹齢2千年と伝わるのか定かではありません。

 

周囲19メートルということは直径が約6メートル。

 

1年に1.5ミリ成長すると仮定すれば、半径3メートル(3000ミリ)の空間が生まれるには、2千年かかります。実際には、数ミリ成長するかもしれません。

 

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但馬の香美町村岡区瀞川平(とろかわだいら)の但馬高原植物園の中に、樹齢1千年以上といわれる「和池の大カツラ」があります。

 

Img_07463

 

湧水が株元を貫通しています。

 

Img_19182

 

『但馬の巨木百選』((財)但馬ふるさとづくり協会発行)には、

 

  香美町村岡区黒田の「兎和野の大カツラ」(樹齢500年)

 

  養父市関宮町の「轟の大カツラ」(樹齢200年)

 

  僧空海が立ち寄り別宮を発足させたとされる
  同市関宮町「別宮(べっく)の大カツラ」(樹齢200年)

 

  奥地一体が銀山であった頃カツラの木は鉱山の神宿る木とされ
  ていたとある豊岡市日高町羽尻の大カツラ(樹齢300年)

 

  同市日高町万劫の大カツラ(樹齢200年)

 

が紹介されています。

 

1

 

但馬はカツラの巨木の宝庫です。

 

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昭和26年の国天然記念物の指定から60年あまり。

 

樹齢、2060年ということになりますが、千年単位で時を刻む「糸井の大カツラ」には、100年以下はあえて表現する必要はないのかもしれません。

 

Katsuranoha菊池秀夫著「邪馬台国と狗奴国と鉄」(2010年2月彩流社)に、浅井壮一郎氏の『古代製鉄物語』(2008年8月彩流社)に記された「インドの製鉄技術」が次のように紹介されています。

 

「華南の製鉄技術は、インドから東南アジアを経て海の道によって伝来したものと考えられる。インドの製鉄技術は、溶鉱炉も鞴(ふいご)も小規模で技術移転が容易であった。しかも、温度が低かったため、低炭素鉄、つまり錬鉄しかできず、質もよくなかった。

 

しかし、インド人は独特の加炭技術、つまり、鉄に炭素を付着する技術、製鉄技術を持っていた。

 

錬鉄を細かく刻み、同じく小片にした桂の木を生木のまま加えて混ぜ、これをルツボに入れて、土器造りの窯で加熱するのである。

 

窯業炉は製鉄炉のようにオープンではないから、還元状態が強く、生木から発生するメタンガス、一酸化炭素などにより更に還元され、純化すると同時に、しかも高温なので加炭されるのである。」

 

Katsuranoha

 

この文章を読み、なぜ、「カツラの木が鉄ゆかりの木」と言われるのか少しわかった気がしました。

 

「糸井の大カツラ」が生えているところは、古い時代の鉄の産地、床ノ尾山、鉄鈷(かなとこ)山への登山口にあたります。

 

私は、この「糸井の大カツラ」が2千年前に人の手によって移植されたのではないかと考えています。

 

糸井川の河口で採取した良質の砂鉄を、上流のこの地に運び、簡易な方法で製鉄したのではないでしょうか。

 

大量の薪を河口まで運搬するよりは、砂鉄を運ぶ方が労力が少なくてすみます。

 

きれいな水があり、生のカツラの破片をいつでもとれるこの地に古代の製鉄所があったとすれば、日本の製鉄の歴史が変わるのではないかと考えています。

 

飛躍しすぎでしょうか。

 

「第5話 樹齢2千年の桂が日本の製鉄の歴史を変えるかもしれない。」はコチラ

 

巨木を紹介したサイトで、「糸井の大カツラ」が紹介されています。コチラ。(数年前からこのサイトの桂にまかれた注連縄は更新ておらず、今はありません。)

 

Photo_10

 

朝来市ジュピターホール横には、カツラの街路樹があります。

 

糸井のカツラの木は黄色に紅葉しますが、この街路樹は赤や黄色の紅葉が楽しめます。

 

2014.5.16追加

 

「但馬二千年桂~悠久の時を刻んで~」 YouTube(コチラ

 

 

 

 

 

 

 

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