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2012年6月15日 (金)

第4話 葦原が豊かだったのは未採掘の砂鉄が眠っていたから?

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 古事記の中で、天照大御神が、御子、天忍穂耳命の治める国であると言う「豊葦原の水穂国」は、葦が豊かに生えていて、水が豊かで稲穂がたくさん広がっている国などと訳されます。葦の根元に湖沼鉄ができるから葦原は豊かだったという説もありますが、湖沼鉄は大量に採取できたでしょうか。

 

 大陸から稲作が伝播した際、全国各地の葦原状態の湿地に灌漑設備を設け、水田に開発されたと考えます。縄文海進、あるいは円山川河口付近に土砂が堆積し内陸部まで湖ができ、糸井川河口では長い年月をかけ同じ個所に良質の砂鉄があたかも鉱脈のように堆積していたのではないでしょうか。

 

 これまで、太耳は、糸井川の河口附近で、毎年、農閑期に上流から流れてきた砂鉄を採取してきたと考えてきましたが、太耳は、一か所で何年にも渡り砂鉄を採取したのではなく、上流に滝があることや、支流が長く勾配が緩いこと、本流と直角に合流することで、一定の個所に砂鉄が堆積することを地地理的な状況から判断し、坪掘り試掘をした後に一定のエリアを決め、砂鉄を掘りつくし、水田に作りかえる土木事業を行ったのではないかと考えるようになりました。

 

 同じような個所は全国各地にある中で、糸井川と円山川の合流地点は、地理的な条件により、後に白黒の砂鉄と呼ばれる小粒で丸く不純物の少ない良質な砂鉄が眠っていたと思われます。耳田の地名は、太耳が、埋蔵砂鉄の採掘権をもつ個所だったことを伝えているのではないでしょうか。

 

 糸井川の河口附近は、あまり広くないことから、採掘は数年から数十年で終了し、弥生時代の海退あるいは円山川河口の掘削により、上流から少しずつ干上がり水田が開発されるのにあわせ、何代かに渡り、下流の出石や円山川河口へと採掘地を移動していったのかもしれません。

 

 さらに、より大量の砂鉄が眠っている個所を求め、海の波の影響を受ない大きな湖に注ぎ込む河口附近に事業地を求めたのではないでしょうか。琵琶湖や、出雲の宍道湖、昔は巨大な湖であった奈良盆地や、大阪平野に製鉄技術集団の足跡が認められるのは、水田開発にあわせ埋蔵砂鉄の採掘プロジェクトが展開されたことを物語っているのではないかと考えます。

 

 砂鉄は掘りつくされ水田に形を変えたため、考古学的な裏付けはありませんが、古代の砂鉄採取のイメージをもっとダイナミックなものとして捉えてみると違った世界が見えてくると思われます。

 

 大陸の巨大な河川では砂鉄の堆積したポイントを発見したり採掘するのは困難かもしれませんが、日本列島は、狭い国土に馬の背のように山脈が走り、無数の河川が海へと流れ込むことから、調査の効率が良く、採掘が終われば次の採掘地への移動も容易であったと考えます。

 

 縄文海進から海退へと移行した弥生時代に、ゴールドラッシュならぬアイアンラッシュというような現象が起こり、日本の砂鉄を求め大陸から砂鉄採取と稲作の技術をあわせもった多くの人々が移動してきたのではないでしょうか。

 

 豊葦原は、葦原の下には、未採掘の砂鉄や砂金の鉱脈が眠っていて豊な土地であったことを語っているのかも知れません。

 

* 文頭の写真は、静岡市立登呂博物館の弥生体験展示室で撮影したものです。糸井川河口附近の葦原もこのように水田に開発され、遠くに美しい粟鹿山を眺めながら田植えをしていたのかもしれません。

 

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糸井川河口で良質な砂鉄が採取できたと考える条件はコチラ

第46話 河内湖の蓮と鉄 (2013年8月10日 (土))コチラ

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